今日、あるお葬式に行って来ました。
自分の向かった場所は、ちょっと北のほうで、気温が8~9℃位だったか。
天気は良かったけど、風が強いせいか、なんかやけに肌寒く感じられた。
亡くなられた人が立派な立場の人だったので、その葬式の規模がすごい。
車で行く事になったけど、参列者が多すぎて、近所の霊園の駐車場まで借りきって、そこからシャトルバスに乗って、葬儀会場の寺へ。
シャトルバスに揺られながら、そこから見える田舎の光景も重なって、「なんかサーキットに来たみたいだよね」とかパートナーと不謹慎な事を言ってた。
それで、寺の本堂はそれほど人が入れないから、そこは殆ど親族と関係者で、自分達のような参列者は、本堂外の境内に並べられたスチール椅子に座る事になった。
しかし、めちゃくちゃ寒い。喪服と言うのは、けっこうオールシーズン対応の薄地だったりするものだから、尚更。
季節が季節なだけに、既に冬物のコート着てる人も少なく(スプリングコートとか持ってる人はそれほど居ないよね)、殆どの女性の参列者は喪服のアンサンブルだけで、これは結構キツかった筈。
そういう所に冷たい風が吹き込んで来て、なんか本当に帰りたいような環境。
それに、こういう偉い人の葬儀とは、本当にスピーチする人が多くて、いつになく長い葬儀に感じられる。
葬儀が始まって30~40分して、今度は故人の親友と言う人がスピーチを始めた。
多分、80歳位の人?
上品な語り口のジイさんで、よく耳を傾けてみると、面白い事も言ってたりもするんだけど、何せ寒くて、こちらとしては、耳を真剣に傾けられない。
そういうのは、自分だけではなかったようだ。
そのジイさんのスピーチは既に15分を越えていて、参列席を立って、先に焼香を済まして帰る人が出て来た。
自分のパートナーは、なぜか隣でクスクス笑いだす。「みっとも無い」と言っても、そのジイさんの話しがあまりに長いので、それがおかしくて仕方ないらしい。
それから更に5分位して、後ろの人のケータイがけたたましく鳴り出すトラブルが。
高齢者の多い場面、実はこういう事をよく見かける。年齢故か、マナーモードの設定を知らない人が多いらしい・・・
更に、この故人の親友と言うジイさんの話しは続く。
もう25分くらい経ってて、その内、周りの人は、寒さに手を擦りあわせながら、ジイさんの語る事をカウントし始めた。
ジイさんは、昭和◯◯年には・・・と、年代順に話しをして行くものだから、「まだ◯◯年だから話しは続くぞ・・・」とか、周りから聞こえて来る。
すると後ろに居たババアは、急にキレて小声で悪態をつき出した。
「この人、自分の自己満足でこんな長い話しをしてる」
「もういい加減にしてよ」とか。
思わず、自分もパートナーも口に手あてて笑いを堪える。
間違いなくマッドな世界。
クソ寒い中で、30分近く続いてる故人の親友のジイさんの話し。それがクレイジーすぎて、自分達も辛いに関わらず、笑わずに居られない。
それで、このとんでもない寒空の下、一体いつまでこの話しが続くのか・・・と、絶望を感じ始めた頃、なんか、寺の本堂の中から「チーン」と言う鐘の音が聞こえた。
自分の場所からは、本堂で何が起きてるのか見えないのが残念だったが、なんか再び鐘の音が数度聞こえて、親友のジイさんは、急に話しを切り上げたw
一体、何が起きたか分からないけど、自分達は間違いなくその鐘の音に救われた。
この頃になると、周りの多くの人が、「帰るタイミング」と言うのを伺いだした。
とにかく寒い。暖かい所に行きたい。
しかし、故人に焼香せずに帰るのは失礼だし、故人に申し訳ない・・・
殆どの人が寒さとその感情の板挟みになってたに違いない。
なんと言う葬式・・・
その後、故人の孫3人が、お爺ちゃんへの思いを語り・・・
これも泣けるスピーチなんだけど、こちらとしては、寒さの限界。低体温になって死んじゃいそう。
そして、やっと読経が始まり、焼香の時が来た。
寒さを我慢し続けた外の参列者が、焼香の為に殺到したのは言うまでもない。
殆どそれは、故人の為と言うより、早く焼香して帰りたい・・・と言うところから来る行動。
自分達も、焼香して帰る事を選んでしまったが、既に駐車場へのシャトルバスは満杯。
まだ、喪主と言うべき故人の長男のスピーチやら、色々なセレモニーが残ってそうなのに・・・
その時、故人のいつも穏やかで優しい人柄を思い出し、何でこんな葬式になってしまったのか、故人が気の毒になった。
自分もそうしてしまった一人なんだけどね。
もし、あの故人の親友のスピーチが5分位で終わっていたら?とか、
もし、今日がもう少し暖かい日だったら?とか色々考えてみたけど、
こういう厳しい環境の中で故人を送ると言うのも、仏教の世界から見れば、「修行」とか言うのかな・・・
帰りの車で、やっと体が体温を取り戻すのを感じつつ、パートナーの言ってる興味深い言葉に耳を傾けていた。
「あの話しの長かった爺さん、スピーチの原稿、書いて来たのかな?」
もしそれが存在していたら、一体、どれ位の枚数だったんだろう・・・?
しかし、一つだけ言えるのは、後ろのバアさんの解釈のように、自己満足でその長話しをしていたわけではないと思う。
親友だけに、本当に故人の生前を讃えてあげたくて、その人がどんなに立派な人か必死に伝えたかっただけ。それに80歳以上と言う高齢が加わって、収拾の付かない長話になってしまった・・・と自分はとりたい。