12時を過ぎると、父親の死からちょうど4週間が過ぎた事になる・・・。
4週間前にそんな大変な事があったとか嘘のように、自分はなんか普通に家に居て、PCで仕事してたり、こういう状況が自分では信じられない。
なんて言うか、親の死とか・・・もっと重く強く伸し掛かって来るものだと思っていた。
同時に、東日本大震災の時に知った言葉、「正常性バイアス」みたいなものが、また働いているのか?と思ったり。
正常性バイアスについては、以下の記事を参照にして下さい。
- tenki jp "正常性バイアスを知っていますか?
「自分は大丈夫」と思い込む、脳の危険なメカニズム"
「正常性バイアス(normalcy bias)」は、心理学の用語です。社会心理学や災害心理学だけでなく、医療用語としても使われます。
人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。何か起こるたびに反応していると精神的に疲れてしまうので、人間にはそのようなストレスを回避するために自然と“脳”が働き、“心”の平安を守る作用が備わっています。ところが、この防御作用ともいえる「正常性バイアス」が度を越すと、事は深刻な状況に……。
つまり、一刻も早くその場を立ち去らなければならない非常事態であるにもかかわらず、“脳”の防御作用(=正常性バイアス)によってその認識が妨げられ、結果、生命の危険にさらされる状況を招きかねないのです。
震災当時、このバイアスの心理効果によって逃げ遅れた人達が居たんではないか?と言う記事を読む事になった。
親の死と言うのも人生に幾度もある事ではなく、それは間違いなくショックな事であって、それにも関わらず今の自分の状態と言うのは、なんか違う気がしてならない・・・やっぱ正常性バイアスが働いているのか?
本音、今の自分が一番欲してるのは「普通の日常」だ。
父親の癌との闘病に1年以上付き合って来て、それでかなり自分の生活も犠牲にした部分があった。いや、いいんだ・・・自分の気持ちの中では、自分の人生の1~2年くらい、父親にくれてやる・・・と言う覚悟もあったから。親は、その何倍もの時間を掛けて、自分を大事に育ててくれたわけで、それ位、子供として当然と思って来たしね。本当にいい親父だったから・・・
それだけに、早く自分の生活を普通に戻したいけど、しかし、今のそういう自分が少し不謹慎に感じると言うか。
もっと悲しむべきじゃないか?とか、もっと寂しく思うべきじゃないか?とか・・・親父が死んだと言うのに、普通の生活を平然と送る事が親父に申し訳ないと言うか・・・。
親父が最後、自分に言った言葉を思い出す。
自分に手を差し出して、「もうここ(病院)に居るのも飽きただろ?」って・・・
「ここに来る交通費とか大丈夫なのか?」って・・・
最期まで親父は”親”だった。最期まで、子供の自分の心配をしてたっけ・・・
だから、そういう親父の言葉とか姿とか思い出すと、尚更に普通に今生活している自分が嫌になって来る・・・
しかし、親父の事はわかってる。
散々、自分の子供たちに迷惑を掛けてしまったから、早く子供達には普通の生活を取り戻してほしい・・・って願ってるだろうって事を・・・
じゃあ、自分は親父に対し、今、何を願えばいいのか?
自分がそういう事をちゃんとやれてるのか、実のところ、いつも自問自答だ・・・
親が生きている内に親孝行をしておけ・・・と言う言葉も、何度か聞いた事があった。
本当に、残るものはそれだけだ。親が死んだ後、供養とか一生懸命したとて、それが本当に親父に届いているか・・・なんて、誰にもわかりはしないんだし。
とにかく、今理解してるのは、親父に恥ずかしくない生き方くらいはしないといけない・・・と言う事だけ。