また洋楽界の訃報だけど、エイジア等でヴォーカル、ベース、曲作りをやっていたジョン・ウェットンが亡くなったと言う事で、ご冥福をお祈りします。
まだ67歳...最近、70歳を目の前の亡くなるミュージシャンが多いような気がする。ナタリー・コール、デビッド・ボウイ、グレン・フライもそうだったけど...ジョン・ウェットも彼らと同じガンだったようで。
We regret to announce that iconic singer, John Wetton, passed away in his sleep this morning.
Rest in Peace, John.
12/06/1949 – 31/01/2017— Original Asia (@originalasia) January 31, 2017
Dear All, I am sorry to be the bearer of the very sad news that my dearest friend, bandmate and co-writer, John Wetton has passed away.
— Geoffrey Downes (@asiageoff) January 31, 2017
A sad day indeed. #rip #johnwetton pic.twitter.com/KlQWPduX4O
— Geoffrey Downes (@asiageoff) January 31, 2017
最初にジョン・ウェットンの訃報をTweetしたのはジェフ・ダウンズだったんだ...。
エイジアに関しては、彼らのデビュー時代(この頃が一番エイジアが盛り上がっていた頃だと思うけど)は自分はリアルタイムでは知らないけど、後から高校の頃のバンドでエイジアはよくコピーしたし、最近のアルバムを除いてエイジアは殆どアルバムを所有している。
殆どの人が、ジョン・ウェットン時代のエイジアこそ最高...と言ったけど、その後、ジョン・ウェットンがエイジアを抜けて、ジェフ・ダウンズがELOとかでベースをやってたジョン・ペインを迎えてエイジアを継続させていた(アクアから)。個人的にはこの時代の方が好きだ...とか言って、ウェットン支持者に嫌な顔をされた事があったw (実は自分が一番好きなのは、AQUA)
ウェットンの曲作りと言うのは、良いにつけ悪いにつけドラマテックな展開を見せるダイナミックな曲が多くて、しかしそれこそが、エイジアの持ち味でもあった事は理解する。
(この曲のハウのギターは、マジで好きだ...w)
その後、ジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズが一緒に再びエイジアでプレイする事になり、ジョン・ペインはエイジアを出される事になって、それからオリジナルのエイジアに近い形で活動していたようにも思う。
エイジア発足当時を知ってる人に話を聞くと、イエスのスティーブ・ハウとELPのカール・パーマーが一緒にバンドを組むと言う事で、ドリームチームのようなバンドに語られていたと言う。そこにプログレキャリアも既に積んでいたジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズが加わり、ましてレーベルが名門ゲフィンと言う事で、期待されない方がどうかしてるような布陣。
このエイジアのデビュー・アルバムは、今でも名盤としても名高いけど、かなり聞きやすいプログレで...と言うか、発売が82年と言う事で、ビルボードでもロックバンドの曲が普通にヒットチャートのベスト10に入る時代になっていた。
(産業ロックと言われた時代w)
こういう書き方をするのは、80年以前のプログレと言うのは、アルバムだけは爆発的に売れるけど、そこからシングルが売れるとか考えられないような状態で...一曲がシングルにするにはとんでもなく長かったりw
82年と言うと、既にアメリカン・プログレと呼ばれるボストン、ヴァン・ヘイレン、TOTOが台頭して来て、今までの人によっては理解が難しいプログレにアメリカン・ポップスの要素が加わり(これこそ産業ロック)、アメリカン・プログレの曲はかなり明るく聞きやすい...と言う事もあった。
そういう時代、エイジアはイギリスの人達だけど、彼らもプログレに今で言うキャッチーな明快はメロディーを付けて、デビュー曲の”Heat of the Moment”をビルボードのヒットチャートベスト10に送り込んだ。当時、ELPとかイエス知ってる人達からは、「このメンバーでこういう曲調になるとは驚き」と言わしめたほど一般の人に受け入れやすいロックだった。
今聞いてもこの曲は好きだけど、キャッチー過ぎる傾向もあって、昔からのプログレファンからは批判もあったと言う。この曲を書いたのが、ジョン・ウェットンとジェフ・ダウンズで、最初にも書いたけどこの二人の曲作りがエイジアのイメージを作る事になったように思う。
余談だけど、この数年前(79年)に確かジェフ・ダウンズはバグルスの「ラジオスターの悲劇」と言う曲をトレヴァー・ホーンと共作でヒットチャートに送り込んでいた。
このトレヴァー・ホーンと言う人は個人的には非常に興味ある人で、元はイエスに少し在籍していたり、イエスの「ロンリー・ハート」やフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「リラックス」と言う80年代の名曲も手がける事になる。
こういう曲を作った人々が、後にエイジアやイエスの大ヒット曲に大きく影響を与えた事を考えると非常に興味深い。(自分はイエスの大ファンでございまして...)
ジョン・ウェットンについてはこれくらいしか個人的には書けないけど、彼は名曲を沢山残す事になった。
ジョン・ウェットンのエイジアの曲と言うと、色々と有名な曲はあるものの、2枚目のアルバムのアルファの2曲目の曲。(そう言えば、ジョン・ペイン時代の1枚を除いて、エイジアのアルバムはそのグループ名と同じくAから始まりAで終わる単語がタイトルになっている)
https://youtu.be/h3NJd2rxzME
この曲だけを聞いてると、REOスピードワゴンと勘違いしそうな曲w
そして月並みだけど、Don't Cryが好きだった。
しかし、再びエイジアに戻るまでにジョン・ウェットンがエイジアに残したアルバムは3枚のみで、一方でジョン・ペインは4枚。それでも、多くの人がエイジアの音だと認識するのはジョン・ウェットンのもので、彼は正しく全盛期のエイジアの声でありメロディ・メーカーであった事は間違いない。
後書き
先日、WOWOWでやっていたELPのライブを見る事になって、去年亡くなったキース・エマーソンがハモンドを壊していたりしたけど。その時に年配になったカール・パーマーを見て、ジョン・ロビンソン(こちらはクインシー・ジョーンズ等の御用達のソウルを得意としたドラマー)にそっくりになってね?とか、笑ってしまった。
しかし、最近、プログレの大御所も亡くなる人も多くて、一時代を築いた多くのミュージシャンが高齢になって行き、こんな事ばかりが続くとか...考えると気分が暗くなってくるけど、少しでも長生きして元気に音楽を続けてほしいと願ってやまない。