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Stevie Wonder “Another Star” スティービー・ワンダーの話を少し…

正月にSoundcloudのタイムライン流しながら作業していたら、突然、耳に飛び込んで来たのがこの曲だった。

原曲はこれ...

あまりに有名なスティービー・ワンダーのアナザー・スター。特にスティービーの超名盤アルバムと言われる”Songs in the Key of Life”の中の一曲で、イントロが流れると「ラララー♪」と一緒に口ずさんしまうほど。

”Songs in the Key of Life”のアルバムがスティービの代表アルバムの1つと言われる位だから、このアルバム自体がスティービーのまるでベスト盤のように名曲が集まっていて、多分、聞いたら「この曲、どっかで聞いた事あるー」と言うものばかりだと思う。

久しぶりにアナザー・スターを聞いたけど、この破壊力と言うかインパクトと言うか、76年に出された古い曲ではあるけど、こんなインパクトを持った曲は今でもそうそう探せない。

特にスティービーと言うのは作曲に時間を掛ける人として有名で、一枚のアルバムを作るのに1000曲位作ったりする...言う伝説もあるほど。本当に練り上げられて、他の人では到底到達できないような域に1つの曲を持って行ってしまう事もある。

それで、個人的によく聞かれる事は、スティービー・ワンダーの名前が超絶的に有名だけに「聞いてみたいけど、一体、何を聞いたら良い?」と言う事。

実はこの質問はかなり答えに困るんだけど、当然、スティービーの曲は非常に多い...と言うのもあるけど、何て言うか...何を好むかはその人が聞いて来た音楽のキャリアにも結構依るように思う。

スティービー・ワンダーと言う偉大な人は、11歳でモータウンからデビューして、当時、時代は1961年。

この曲がスティービーが13歳の時にビルボードNo1にした曲で(史上最年少の記録)、音源聞いてもかなり昔である事を理解すると思う。

それに、61年と言うと数年後にビートルズが世界を制圧するような時代で、そんな昔から音楽をやっていて、その間に当然のように音楽の環境も流行りも大きく変わって行った。だから、どこを切り抜くか?で、スティービーの音も全然違うように聞こえる事もあるし、当時名曲と言われていたものが、すぐに現代の人にも取っ付けるか?と言うと、必ずしもそうではない場合もあるし。

自分のように昔の音楽をほじくり返して好んで聞いてるような人は、スティービーの昔の曲も「なんかすげぇ」とか聞いたりも出来るけど、そうじゃない場合、「ただの古い音源」になってしまう場合もあるしねw これは、正直な意見だし、仕方ない事だと思う。

だから、スティービーのあまりに長い音楽生活を考えると、スティービー初心者に一体どの音源を紹介して良いのか、本当にわからなくなる事が多い。

しかし、少なくとも、今日紹介したアナザー・スターのインパクトは、今の時代の人にも理解できるものだと思うし、同じアルバムに入っている「isn't she lovely(可愛いアイシャ)」なんかは、殆どの人が一度は聞いた事があるだろうし、今聞いても群を抜いた名曲。これは間違いないと思う。

その他、自分が好んで聞いて来たスティービーの曲をあげると...実はもっと有名な曲は山ほどあるけど、自分がよく聞いた曲と言う事で...

メローな曲ばっかだけどwww
 

追記:Spotifyでスティービーのプレイヤーを作って来たw

spotifyの会員の場合、全部フルコーラスで聞けるけど、そうではない場合、イントロから少しだけと言う感じになるかもしれない。

最初に幾つかの代表曲が入っていて、その後は下に行くほど新しい楽曲...と言う感じ。選曲は全部自分でやったんで、ちょっとメローな曲が多いかもw 

全部で62曲。これでもだいぶ絞ったつもりだけど、スティービーの曲は多すぎw

それで、去年の年末頃、パートナーが録り溜めていた音楽番組の録画を纏めて見る事になって、その中に"USA for Africa"'(we're the world)のメイキング秘話のような番組があった。それを見て面白い事を沢山知る事になった。

この曲自体は、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが中心で作り上げて、クインシー・ジョーンズがコンダクターとプロデュースをする事になったけど、しかし、企画が持ち上がった時は、作曲陣にスティービー・ワンダーを迎えたかったらしい。

しかし、スティービーが全然捕まらなくて、その連絡を任されたライオネル・リッチーは大変だったようだけど、それで結局マイケルと二人で曲を作り上げる事になった。しかし、マイケルの家で曲作りをしようと思うと、マイケルの家に本物の巨大ニシキヘビとかが居て、ライオネルはそれに怯えて全然曲作りが進まなかったとか...www

個人的にその話の中で最も興味を持った部分は、このwe're the worldには、アメリカの音楽界の至宝のような人が沢山参加してるけど、その一人が間違いなくボブ・ディラン。しかし、実際リハーサルでディランが歌うと、全然ディランらしくない歌い方になってしまって、ディラン自身、この歌をどう歌って良いのか道を見失ったらしい。

その時、スティービーがディランに「らしい」歌い方を指導した...と言う事で、その指導してる本当のビデオも紹介されたけど、ディランが横に立った状態でスティービーがピアノの前に座ってある意味でボブ・ディランの真似w ...と言うか、「確かにこれはディランの歌い方だわ...」と思える歌を披露していたのがマジで印象的だった。

このwe're the worldのディランのパートを見て欲しいけど(動画3分45秒あたり)、これはスティービーが歌の指導した結果で、しかし、誰から聞いてもディラン節になっている。(当然、本物のディランが歌ってるわけだけど)

それで、このディランのリハーサル光景の動画を探してみたら、英語だけどあったwww

こういう部分もスティービーの耳の良さと言うか、それぞれのアーティストの特徴を非常によく理解している...と言う才能をよく表しているものだと思う。

we're the worldの他、スティービーの参加したボランティア的活動の音楽の中で、エイズ救済基金の為に出された、エルトン・ジョン、ディオンヌ・ワーウィック、グラディス・ナイトとやったThat's What Friends Are For(ビルボード1位)も本当に素晴しい。イントロのスティービーのハーモニカが心を打つし、スティービーは他のアーティストとも本当に良い仕事をしている。

この曲を作ったのはバート・バカラックとキャロル・セイヤー・ベイガーで(当時、二人は夫婦で、この曲はこのキャンペーンの為に描き下ろした曲ではない)、ディオンヌ・ワーウィックはバカラックの秘蔵っ子としてデビューして活躍し続けて、日本ではそれほど有名でなかったとしても(ホイットニー・ヒューストンの従姉妹としては有名か?)、先に紹介したwe're the worldのメイン・ボーカルの一部を担うほどのアメリカ音楽界の重要なシンガー。

バート・バカラックとかにまで話が及ぶと書きたい事が山ほど出てきちゃうけど、今日はこの辺りで終わりにしておきますw

スティービーの話に戻ると、スティービーの才能と言うのは、他のアーティストへの楽曲提供でも見る事が出来るけど、スティービーが描き下ろした心から愛してる曲として、最後にこの曲を紹介しておきます。

この曲は、本当に個人的に思い入れがある曲で、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイがデュエットしてるけど、実はこの録音の直後に大きなソウル界の才能でもあったダニー・ハサウェイが自殺して33歳と言う短いを生涯を閉じた。

この曲を聞く度、その不幸を思って胸が締め付けられるんだけど、その他、この曲全体で聞けるフェンダー・ローズを弾いてるのが93年に癌で亡くなったリチャード・ティー。リチャード・ティーは自分にとって本当に特別なピアニストで、そういう色々な個人的な思いが封じ込められてしまった曲。

スティービーから変な方に話が再び向かってるけど、しかし、音楽と言うものは、今ではシンセのプログラムでたった一人で作り上げる事も可能になったとしても、やはり沢山のミュージシャンや音楽関係者が繋がりを持って作り上げて行くもので、その繋がりが音楽の1つの伝説を担っている...と言っても過言じゃないと思う。

だから、一人のアーティストを語る時も、自分の場合は、あれやこれや変な話が沢山出て来ちゃうけど、スティービーについては、他の機会にまた書いてみたいと思います。

公開日 カテゴリー Musicタグ ,

About Makoto

TESシリーズ(Skyrim、ESO等)のファンサイトを運営。しかし、本性は音楽geek(soul,Funk& Jazz他)、中学2年の頃からプログレ・バンドで鍵盤系をやってました。Wordpressは2007年からの古参。 Home:  Rolling Sweet Roll

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